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Archive for 2016年2月

ハードル

閏年の今年、一日得した気分ですが、飛んで去っていく2月。

 

今日から歯医者さんで、治療開始。一番奥の歯の被せを交換する事になりました。

ついでに数本の歯も治療することにしました。

なるべくなら、入れ歯になる前にと。

 

 

今日は良いお話を聞きました。

「自分へのハードルを高くしているといつまでもしんどい。

ありのままの自分で生活する事!

良い妻でなくていい!。  (所詮、良い妻なんてなれないのだから)

良い母でなくていい!。  (所詮、良い母なんてなれないのだから)

自分が良いように頑張ろうとすると、相手にも望んでしまう事に繋がる!

夫婦は『隣のおばさん』的な存在になるといいよ~」

 

これは私の少し年上の大好きな友人から聞いたお話。

クリスチャンの友人だからこんなにスッキリと生きておられるのだと感心して

居たのですが、お話を聞いて「なるほど!」と目からうろこでした。

 

迷ったり、苦しんだりするのは人生当たり前。

その殆どは自分が作ったハードルに、躓いたり、引っかかって転んだりしているように思う。

頑張らないでハードルを下げよう~。その上で自分らしく生きれば良い。

能力が無いのに頑張ろうとしていたかもしれない。

私の場合、低いハードルですが、それでも一つ一つとり除いていこう~。

多くを望まない! 自分に。

 

 

 

 

 

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感動

中国残留帰国者さんと日本語を勉強する「ともだち」の会のボランティア仲間、

仲良くしている4人の内の一人が本を出版しました。

「ともだち」の会の書記を担当してくれていて、「ともだち通信」を毎月発行してくれています。

 

 

今回の著書「大竹から戦争が見える」を読んであまりの素晴らしさに「感動」しました。

DSCN3035

 

 

彼女が広島出身だとは聞いていました。

ご家族は原爆に遭わなかったのだろうか? お元気そうだから広島市から遠かったのだろう、

と勝手に思っていました。

尋ねるにも「良いかどうか分からなくて・・・」と言うのが本音でした。

恥ずかしい事に「大竹出身」だとお聞きしても、知識不足の私には何も理解が出来なかったでしょう。

主人に「大竹と言う町を知っている?」と訊いたら「帰還兵、引揚の者の港の

あの大竹?」と訊かれました。 私って・・・・・・。

彼女自身も海南島に出かけるまでは、大竹の事を知らないし、調べる事にならなかった。と書いていますが・・・。

 

彼女は真摯な態度で、地道な調査し、資料を読み、書き進めています。

正座して襟を正して読まなくては! と思いました。

(でも、お茶を飲みながら、椅子に座りながら読みましたけど・・・)

日本人として私たちは「戦争」をあまりに知らなさ過ぎです。

そう言う意味で、政府の教育は成功していますね。

 

〇原爆の被害は、大竹から多くの人が助けに行って被ばくし、「被ばく」を持ち帰って被害が拡大。

そしてその後すぐの枕崎台風の事。

 

 

〇大竹の人たちは引揚者の人たちに非常に尽くしました。

(戦場で何をしてきたかを知ろうともせず・・・)

彼女がチラリと突っ込みを入れる、それがまた素晴らしい。

 

 

〇ジェンダの問題

戦後すぐに入ってきた米兵の為に慰安所を設けた日本。そしてそれは、一般の子女を

守るためと「大竹」にも作られたそうな。

二か月ほどでGHQにより「連合軍軍人の立ち入り禁止命令」となり、

三か月後、「ポツダム緊急勅令」が出て閉鎖されたそうな。

 

〇朝鮮から連れて来られた人たちのこと等々。

 

真面目に調べ、だれにでも解るように優しく書かれたことに、

敬意と感動を覚えずにはおられません。

多くの人に読んでいただきたいと思います。

 

 

 

 

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あるご夫婦

私の尊敬するMさんご夫婦。 大好きな奥様から今年の賀状が届かなかった。

次女一家を関空に送りに行った帰りの車の中で、ふと「何かあったのかしら?」と

気になり、毎日郵便受けをまめに見ました。

そう言えば、Mさんのお嬢さんのI 家からも今年は賀状が来ていない。?

 

M奥さんとは30年近くのお付き合い。

家柄を鼻に掛けたり、知識をひけらかすこともない。

「普通」なのです。誰に対しても。 お人柄が素晴らしいのです。

こういう女性になりたいと願わずにはおられない人なのです。

ご主人に何か? 何回か入院もなさっておられたし、

体調があまり良くないともお聞きしていたし・・・、彼女も2度ばかり入院

なさったこともあるし・・・。

何かあったとしても、私には何にも出来ないし・・・でも気になる・・・。

 

M奥さんは依頼されて月に3回、絵の先生なさっている。

そのお教室に毎日電話をいれても1月はお休みで誰も出ない。

悶々としていました。

 

 

寒中お見舞いが届きました。

そして、12月末に夫〇〇が90歳で永眠致しましたため喪中につき新年の

ご挨拶を失礼させていただきました

と書かれてありました。

そして、手書きで{ びっくりさせてごめんなさい。ついでに私は・・・・で手術を

しました。驚異的な回復で明日退院します。またね} とも。

本当にビックリ。彼女までそんな怖いご病気だったとは・・・。

 

そして昨日、お電話を下さいました。

「入院した主人は、最期までちゃんと食事をし、夢を見て声を出して笑って、

そして20分後に静かに眠るように永眠したのよ。家族みんなに見守られながらね。

私の手術の日取りが決まっていたので、私の為に早めに眠ってくれたのね・・・。

看病も悔いなくさせて貰えたし、密葬をしたいから誰にも漏らすこともなくね。

後で知った人が泣くのだけれど、私はこんなに元気だから安心してね。

私の手術は大成功だったしね」と、

想像していたよりお元気なお声でしたので安堵致しました。

それでも私は、優しくて、背が高くハンサムだったご主人を思い出しながら、

喉がつまり、涙が溢れました。

 

「息子がね、あっぱれな父親だった」と言うのね、ともおっしゃていました。

ご主人さまもあっぱれ! そして奥様の清々しさにもあっぱれ!

普通「私の為に早めに眠ってくれたのね」とは言えません。

長年、お付き合いさせていただいた私にはその言葉にお二人の信頼関係の

深さを感じました。

ご主人さまの祖父は緒方洪庵、大きな会社の社長を退職後、

パソコン、水彩画等々の趣味も沢山楽しまれました。

80歳代になられてからも、手品の会などなさって喜ばせてくださいました。

 

奥様も著名なお父様を持つご夫婦。

仲の良さはよく知っておりましたが、何と清々しいお二人でしょう。

ご主人さまのご冥福を心からお祈りし、元気になられたM奥さまとお会い出来ることを

楽しみにしています。

 

 

 

 

 

 

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