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2月26日 パリ4日目

主人はダウン気味。疲れが溜まっているのだろう。

でも、日本に書き溜めた絵葉書を送るため、切手を買いに近くの郵便局を探し求めて行った。そこでビックリ、ビックリ。

絵葉書を一枚一枚計りに乗せて重さを量ってみたり、機械の値段でガチャンと貼る。 「NON」と言って切手を貼るジェスチャーをして「stamps please」と言うと、切手を貼ってくれるのだが、一枚一枚値段が違う。「ALL SAME SIZE。 ALL TO JAPAN。 ALL  AIR MAIL」と大きな声で言うと、絵葉書をじっと見て絵葉書の切手をはがして破った!次々に破ろうろする。「エッー!」と思わず口に出てその女性から絵葉書を取り戻した。本当にびっくりした。!

遊覧船に乗りにセーヌ川を行く。川沿いでも若いカップルが抱き合ってキスをしているのを多くみかけた。 今までの国でこんなにオープンに情熱的に人目を気にしないで、そこかしこで抱き合ってキスをしているのは 「パリ!」が初めて。さすが恋の都です。  セーヌ川はゆったり流れる・・。

サンノーレ通りで有名オートクチュールの店々を見て歩く。 ビックリするような高値。 私には縁がなさそう。。想像していたほど立派な構えのお店ではない。(中に入った訳ではないから、外からの感じだけ)

 

今、振り返って・・・セーヌ川の遊覧船のことは日記にもあまり書いていないし、覚えていない。主人が風邪を引いていたためかもしれない。10数年後、セーヌ川遊覧船は夜のディナーとバンド付きで豪華でした。主人と軽くダンス?を踊りました。その時のことは印象深く残っているのですが。。

45年前の若かった私は、切手を破ったことにショックを受けました。たまたま彼女が切手を破っただけなのかというと、あとにもいいろいろビックリすることがありました。 が、ラテン系民族は小さなことに拘らないところがあり、芸術を楽しむ・食べ物のおいしさを楽しむ・恋をおおらかに楽しむ等々はラテン系特有の「立派さ」があります。 感服です。(もちろん、切手を破くのは今も問題だと思っております。笑)

ラテン系の人の頭脳といえば、、、イタリア人に天才が多い。 頭脳の良しあしは白人だから、黒人だから、黄色人だから、という人種という区分けはナンセンスであることを、現代の私達は学びました(性格の違いはあっても)。 だからこそ人種や国を越えて仲良く共存できないものだろうか?といつも思ってしまう。自分の国を大事に思うのは誰でもそうだろう。ただ過剰になれば諍いが大きくなるような気がする。 こんなこと思う私が子供っぽいだけなんでしょうか?

 

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2月25日 パリ三日目

セーヌ川中洲のシティ地区の観光をする。 最初に実存主義たちのたまり場で有名になったサンジェルマンデプレ教会。パリ最古の橋ボンヌフ。最高裁判所と革命ゆかりの深いコンシェルジェリ。シテ島を離れてサンジャックの搭。バスチーユ広場を経て再びシテへ。

 

ノートルダム寺院・・・387段のラセン階段をふうふう言って登ると眼下にセーヌ、遠くにエッフェル搭・モンマルトルを望む。 パリの景色! 「せむし男」でしられたシメールの奇怪な像が不思議な気分にさせてくれて印象的。

このラセン階段を登って屋上に出る観光客は少ないと思う。387段の階段を降りてまたセーヌ川を渡りクリュニ修道院の前からカルチェラタンへ。 ソルボンヌ大学正門のモンテーニュの像に挨拶をしてパンテオン、そしてサン・テティエンヌ デュモン。

(モンテスキューの像)

 

リュクサンプール公園で一休み。 サン・シュルビース教会を経てホテルヘ。

 

休憩後、モンマルトルへ。地下鉄でサクレクール寺院行く。テルドル広場で似顔絵を描いている絵描きたちをたっぷり楽しむ。 地下鉄で再びホテルへ戻る。

 

 

この後、主人は風邪をひいてノドを痛めてダウンする。

 

振返って・・・日記は主人が風邪の為で気になるのか、淡々と書いていて分かりにくい。 パリはセーヌ川の流れに沿って整った魅力的な街。 都市に川や湖、海、山など自然があるのは美しく心が癒されだけでなく、だからこそ都市の活力も生まれるようにも思います。

パリの建物は当時はそれほどの高さはない。シャンリーゼ通りは高さが決められていさる美しさがあった。空が広い!

 お洒落なパリの女性たちの服装はベーシックで黒・白・グレーが主であったと記憶しています。季節も冬だったし。

パリは街自体の変化は少ないけれど、訪れる時どきに違う顔をみせてくれるように思うのは私自信が変化しているのかもしれない。45年前の泊まったホテルは安いことを最優先させた為、シャワーのお湯がぬるくてチョロチョロとしか出なかった事、ベッドが堅くチクチク痛くて(中にワラのようなものが入っていた)で困った事を今でも覚えている。その後訪れた時のホテルはとても良かった。 観光客の多さはフランス国民との比較においても大変多い。

観光客の多さは都市に素晴らしい恵みを与えてくれるようだ。観光産業(ホテルや飲食店、お土産もの)の利益や交通関係、ホテル等々で働く従業員の就労の良さだけでなく、消費税(日本に比べて高い)を落としてくれる。しかも観光客には教育義務や年金等々の老後の面倒をみなくてもよい。コンスタントに多く来てくれるとありがたいようだ。

現在、日本にかってないほどの観光客が来てくれています。良い面もあり(上記)、喜べることばかりではないこともあり、経済面でありがたいと思う反面、不思議な気持ちもあります。京都に遊びに行く事をためらったり・・・また逆に、観光客が来なくなったら不景気になるのかと、心配でもあります。

 

2月24日 パリ2日目

朝から大忙し。日曜日なので無料だというルーブル美術館へ行く。 あるわ、あるわ、名作がずらりと陳列されている。一つ一つ丁寧に観ていくと何日あっても大変だろう。私達は自分の見たい作品を集中的に見ることにした。

[ミロのビーナス]日本に来たときは長蛇の列が出来、ゆっくり観る事は出来なかった。この像は本物ですよね?・・・写真を撮るのもOK。前から横から後からじっくりゆっくり見ることが出来るなんて!(なぜ、写真を撮っていない?)

[おちぼひろい][晩鐘]等々・・・目の高さ、近くでゆっくり見ることができるなんて!

 

 

有名な絵のなかでひと際目立っている[モナリザ]は特別警備装置がされていて人々の関心も多い。ここだけは結構な人が集まっている(でも、十数名)。 あの微笑は・・・? (写真も許されていなかったと思う)
多くの気になる作品を見て、勿体無いがあとはさっさと斜め見をして広い館内を足早に出る。

 

オペラ座近くまで行き数々の有名な建物を見て、トラファルガー広場にやってくる。が期待の「蚤の市」はやっていないのでガッカリ。 ナポレオンの搭が高い。またナポレオンが建てたマドレーヌ大寺院はKさんのお気に入り。

シャンデリーゼで昼食。昨日のオムレツの味が忘れられない。かわいいレストランに入りメニューを見たら、オムレツの種類の多さにビックリ。近くの席の大学生風の男の子達3人に「メニューを英語に訳して?」と頼んだのだけれど(一生懸命に努力してくれるのだが)全く英語が解らない。「メルシー」と笑顔でお礼を言ってから適当に注文した。やはりおいし~い。おいし~い。

パリに来てから感じた事の一つ、「フランス人一般は英語は出来るがプライドが高くフランス語しか喋らない」というのは否!  彼らはそんなに意地悪でもないし、頭を抱えて考えてくれた。 が、英語が出て来ない。逆にそれほどフランス語に誇りを持っているから、学ぼうとする人が少ないのかもしれない。(偉そうに書いている私は、英語がダメなのは単に勉強嫌いだっただけのこと。現在のパリでは若い人は話せると思います)

チェルニー公園にあるルーブル美術館別館(現オルセー美術館)に足を運ぶ。 すごい!すごい!近代印象派のセザンヌ・ゴッホ・ルノアール・モネ・マネ・ゴーギャン・ドガ等々の作品が処狭しと並んでいる。ウソでしょう?と言いたくなるほど見事に見事に集まっていた。特にゴーギャンの一連のタヒチの作品、ドガの踊り子の数の多さ!ここにこんなに集めなくても!と、訳の分からない悔しささえ覚えるほど沢山ありました。ここにしばらく居たいと思うほどでした。。

ナポレオンがつくったといわれるエトワール・凱旋門。彫刻がすばらしい。登ろうと思ったが、ひとり3フランというので止める。

 

 

エッフェル搭まで歩き、斜めに登るエレベーターに乗って2階へ。一人7フランは高すぎるが、風の吹きさらしの2階はかなり遠くモンマルトルの丘から周囲の新しい建物群まで良く見える。パリの古さと新しさがよくわかる。なかなか良かった。

2フランで屋台の焼き栗を買った。美味。  ロダン館へも行ってみた。案内書と違い5時を過ぎているというので閉まっていた。またにする。

帰りにお店で、エスカルゴ、ハム、サラダ等とVINを買いホテルで夕食。 よく歩き疲れたぁ。

2月23日 ブリュセルからパリ

空港行きの電車、一人50BF(ベルギーフラン)だと聞いていたのに、60BFもした。少し余裕があたから良かったもののわずかなことでドルを換金しなければならないハメになるところだった。

空港で日本へ電話しようとしたが、昨日に続いて英語の説明がない。5BFを損してしまう。どうして英語のインフォメーションが無いのだろう? 空港だというのに?

 

そして、そして、 パリ に入って来ました! 花の都・パリ! 芸術の都・パリ! まだ期待ばかりで実感は無いけれど、素晴らしい大都会であることが肌で感じるような気がする。雑踏の音も違う。

ホテル探しに一苦労。 日本からの案内書ではホテルは☆☆で15~20フランと書かれてあったのでホテルを随分当たってみたが、60フラン以上ばかりで安いのが見つからない。根負け気味でホテルボンマルシェに。一週間滞在するということで1日45フランで手を打つ。(英語の通じるようなホテルではない。英国を離れてから英語の通じるホテルに泊まっていない)。

まず、メモに値段を書いてもらう。私達はそれに×をして安い値段を下に書く。ホテル側はそれに×をして前よりやや安い値段を書く。私達はまたそれに×をして前よりやや高い値段を入れる。・・それの繰り返しでほぼ真ん中くらいに決まる。英語が通じなくなってから始めた知恵) かなり大きなショッピング街が近いし人通りも多い。清潔な感じがいい。

夕食にビヤホールのようなところに入って食べたオムレツのすばらしく美味しかったこと! さすがフランス・パリ! トレビアン! この微妙な味!おいし~い。

ホテル周りを散策するが、パリの本格的な散策は明日から!

 

 

2月22日 ベルギー・ブリュセル

ビクトル・ユーゴーが世界で一番豪華で美しい広場だと言ったと云われるグランプラスに再び行った。小雨模様。ゴチック洋式の市庁舎や広場を取り囲む華麗な建築群はさすがにうつくしい。

その北50mほどのところに、やっとのことで小便小僧の像を見つけ出す。小さい象だとはきいていたが正直びっくりするほど小さかった。少々ショックだけれど眺めていると愛嬌のある姿に微笑んでしまう。

 

 

 

 

その後日本へ電話をかける努力をした。中央電話局まで行ったが、英語が通じず、要領分からず退散する。

2、3のゴチック寺院を見た後、グレコローマンスタイルの最高裁判所を見に行く。黒くくすんで戦災をうけた建物のよう。さほどの感激は無し。(良さの理解が出来なかった?)

夜、カフェテリアでたらふく食べておしまい。

明日は、ついに、パリ!に着く。パリ! フランス語の勉強若干。

振り返って・・・どの国に入る時もその国の言葉「ありがとう」「おいくらですか?」は最低限覚えて入国することにしていた。英語が出来ないので、あとは、ボディランゲェジと笑顔と数字がすべてでした。英語の出来る主人もヨーロッパでは一般の人にはあまり役に立たなかった。 今は若い人はどの国でも英語が通じる時代になっています。

 

 

2月21日 ハイデルベルグからブリュセル

ウォッシュマシンの店が駅のすぐ側にあったので、洗濯物を持っていく。5.5マルクも取られたが、荷物を預かってくれるというし観光しておいで、と言ってくれる。

案内書にしたがって旧市内まで市電でいく。近い近い。メインストリートを少し山の手側にいくと、ドイツで一番古い歴史を持つ大学がある。

そして、そして古城。緑のなかに沈むレンガ造りのお城。崩れかけている部分がいかにも古さを物語り、市内を見下ろすとライン川の支流のなかでも最も美しいといわれるネッカーが静かに、堂々と流れ、赤や青のトンガリ屋根の家が緑の木立にかわいく映える。それは、それは美しい町。

 

(ミニスカートが大流行の頃です。若かった!)

 

アルトハイデルベルグの物語。(私は知らなかったので、主人に教えてもらう。王子がここの大学に学生として過ごしていた時の恋物語)。また、ハイネの詩が色濃く残っている町。観光客もほとんど無く、静かだ。 古いお城を見て歩く。「荒城の月」の歌が口がらこぼれる。(笑)

二人でしばらくその静けさを楽しんだ。 また、昔の王子のロマン、恋物語に想いを馳せた。

 

 

 

 

 

 

1時37分の列車でまた美しいライン川に沿って走ること8時間。ベルギーのブリュッセルに着く。センターステーションだと思ったのだがどうやら北駅に間違えて降りてしまったようだ。 が、すぐ駅前でホテルを見つけることが出来た。物価が高いと聞かされていたけれど、思っていたよりホテル代安く1日220ベルギーフラン。6,3ドル位。

鉄道でも、国境を超える時には車両内で検査があり、パスポートを求められる。換金もしてもらえた。 (今ならユーロー圏で全部スルーでしょう。そしてこの時代は、共産圏・社会主義圏には入国できなかった。その後、時代が大きく変わったけれど、EUから英国が離れるし、気になります)

グランプラス辺りまで歩いて、エアーターミナルでパリ行き飛行便を予約。 明日の切符は早朝と夜しかなく予定よりここで一泊多く泊まることになった。夜遅くに入るとホテル探しの大変さは身にしみている。

 

はじめて見た「飾り窓の女」達。 さすが衣装もすばらしく、セクシーで美人が多い。黙って座って外を見ている。  日本の昔の遊郭に似ている。が、一人一人が大きな木枠のウインドウ越しに座っている。女の私にはじろじろ見られたくないだろうと思い、見ないようにして私はそそくさと通りすぎた。 主人はもっともっとゆっくり鑑賞したかったこもしれない。(笑)

(「飾り窓」今はもう無いのかな?)

 

 

2月20日  アムステルダム→ケルン→ハイデルベルグ

アムステルダムから本格的な鉄道の旅に出る。

風邪気味の為、薬を飲んでいたので眠くて仕方ない。

オランダの田園風景、風車と羊たちのいかにものんびりした景色を楽しみながらも、ついウトウト・・・。

再びドイツに入り、ケルンに着く。

まず、有名なケルン大聖堂へ。 ゴチックたるゴチックの大聖堂は何とも凄い! 立派で大きい!

私の勝手な癖で、森とライン川に映える可愛い寺院を想像していた。が、駅のすぐそば、意外なほど立派でした。(その頃の私はケルン大聖堂の立派さを知らないだけでした)  道を隔てて、すぐ横にライン川が流れている。

 

ケルン、またの名(?)コロン。オゥ・デュ・コロンのふる里。

町は意外に新しい日本の都会風。

ライン川をしばし眺めて、また鉄道の旅を続ける。

(船でライン川を下りたいと思いましたが、冬の季節は運行されていなかった)

けれども3時間ほどライン川に沿って鉄道の旅。それはローレライの歌声が聞こえるような世界であり、ハイネの心も偲ばれる旅でした。  崖っぷちの古城がいくつもあり、情緒をかもし出してくれている。

 

そして、そして、ハイデルベルグ。二人が見たかったハイデルベルグ。

今のところは何も分からない、田舎町です。明日が楽しみ・・・。